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④ 高天彦神社(奈良県御所市)

 もと神武天皇の皇居があったと伝わるところに祀られている神様でタカミムスビの命が祀られています。僕個人的にはこの方が皇室祭祀の根本を表す皇祖神なのではないかと考えていますが、実際は今は天照大神ですね。実は奈良県西大寺の近くにある平城宮跡の中の神社にもタカミムスビの神が祀られていて、本当に天照大神が皇祖神ならなぜ三重の方に遷されていったのかが疑問に思いますが、今の公式はそれが皇祖神なのでそれには従います。
 もしかしたら、古事記や日本書紀が作られたときに断絶があったのかもしれません。(藤原氏の手がかかっているのか?)
 初代神武天皇の后にも三輪族から姫を出しています。その後、何代かと続き、かつての威光を失ったのでしょう第10代崇神天皇の時代にオオタタネコ(大直禰子)の命が奈良県桜井市の大神神社の神主に選ばれて(堺市の陶の邑というところから選び出されているが、なぜそこに彼がいたのかは不明。もしかしたら近かったかも)疫病鎮をしています。意外とこう書いていて三輪族は落ちぶれていなかったのかもしれません。そう思いましたが、その後、賀茂氏と三輪氏の祖に彼がなり三輪君逆が物部守屋に殺されるという記述で興隆が終わります。別の子孫もおりますがここで本流は途絶えたではないかと思います(血ではなく家としての興隆が)。

 本当に三輪族が好きです。「大日本は神の国なり」という言葉が『神皇正統記』にあると佐藤優氏から学びましたが、その「神」という言葉が「みわ」と呼ぶことができると知って三輪族そのものが神と関係があるのではないかと考えるようになりました。真実は藪の中ですが、本当にどうなのかは今後もフィールドワークを重ねていきたいと思います。
 
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